2008年11月9日日曜日

倭歌(やまとうた)

は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。「古今和歌集仮名序」

ちょいと前から右上に和歌を掲載してる。
歌集とかを読んでみたりするのだが、ただ読むだけじゃつまらんし、頭の中を通過してたいして残らないので、書いて(打ち込んで)みる事にした。
今まで掲載した歌は、

来ぬとにはさやかに見えねども風のにぞ驚かれぬる
山里こそことにわびしけれ鹿の鳴く音を覚ましつつ
奥山紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時悲しき
奥山の岩かき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて
このたびはもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
立田手向くる神のあればこそ秋の木の葉と散るらめ
あらし吹く三室の山のもみぢ葉龍田の川の錦なりけり
ちはやぶる神世もきかず龍田川唐紅に水くくるとは

太文字の部分で前後の歌と繋がってる。
まあ、この並べ方が何時まで続くかは定かでないが、ネタが切れたら芭蕉山頭火も引っ張ってこようかな。

和歌の楽しみ方の一つに折句と言うのがある。
古今和歌集巻第十「物名」に、

花(な)のなか目()に飽くやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらな
頭と終りの一文字で、はる(春)、あいだになかめ(眺め)がある。

あぢきなしなげきなつめそうきことにあひくる身()をば捨てぬものから
梨、棗、胡桃

ぐら山峰(ね)たちならし鳴()く鹿のにけむ秋を知()る人ぞなき
女郎花

というように、暗号のように言葉を隠している歌もある。
他にも色々な技法(修辞法)があって、言霊の国にふさわしい言葉遊びである。(呪的な物も含めて)

日本語って、世界で一番美しい言葉だと思う。(外国語は良く知らんが)
  

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