は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。「古今和歌集仮名序」
ちょいと前から右上に和歌を掲載してる。
歌集とかを読んでみたりするのだが、ただ読むだけじゃつまらんし、頭の中を通過してたいして残らないので、書いて(打ち込んで)みる事にした。
今まで掲載した歌は、
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
奥山の岩かき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて
このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
立田姫手向くる神のあればこそ秋の木の葉の幣と散るらめ
あらし吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり
ちはやぶる神世もきかず龍田川唐紅に水くくるとは
太文字の部分で前後の歌と繋がってる。
まあ、この並べ方が何時まで続くかは定かでないが、ネタが切れたら芭蕉や山頭火も引っ張ってこようかな。
和歌の楽しみ方の一つに折句と言うのがある。
古今和歌集巻第十「物名」に、
花(はな)のなか目(め)に飽くやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらなる
頭と終りの一文字で、はる(春)、あいだになかめ(眺め)がある。
あぢきなしなげきなつめそうきことにあひくる身(み)をば捨てぬものから
梨、棗、胡桃。
をぐら山峰(みね)たちならし鳴(な)く鹿のへにけむ秋を知(し)る人ぞなき
女郎花。
というように、暗号のように言葉を隠している歌もある。
他にも色々な技法(修辞法)があって、言霊の国にふさわしい言葉遊びである。(呪的な物も含めて)
日本語って、世界で一番美しい言葉だと思う。(外国語は良く知らんが)
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